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ながら勉強:良い場合と悪い場合

今日は世界平和貢献活動……というほどでもないですが、夕方「宮交シティ」に子供たちを連れていきました。

ここでは、今日と明日の二日間「子育て応援フェスティバル」というのが開催されていまして、私の妻も「みやざき足育センター」のブースを構えて出展しています。ただ、これを観に行ったわけではなく、仕事が終わった妻に長男の靴を見立ててもらうためです。

ながら勉強がいい場合

車を運転している間、私はたいていラジオか、ポッドキャストを聴いています。以前農作業中に聴いているということを書きましたが、「何かを運転しているとき」というのは適度にリラックスできて、また眠くなることもないので具合が良いのです。

そして、「全部の内容を逃すまい」と集中して聴くよりも、ながら聞きにすると適度にフィルターが入るせいか、自分の中で大事だと思ったことが漉されて残るようです。

例えば「和顔愛語」(わげんあいご)という言葉があります。「和やかな顔で、愛にあふれた言葉を使いましょう」というような意味だそうです。この言葉を知ったのはTBSラジオの「伊集院光とらじおと」という番組で、あるお寺のお坊さんがゲストの時に話されていたことです。実は、このお坊さんはとても怒りっぽく、自分の荒い性格を戒めるために「和顔愛語」を心がけているのだそうです……って話は憶えていますが、肝心のお坊さんの名前は忘れてしまいました(スミマセン)

もちろん、発信する側としては「もっとちゃんと聴いてほしい。それだけ一所懸命に作っているんだから」と思います。なので、面白いと思った内容は繰り返し聴いています。特にポッドキャストはそれができるので便利です。

ながら勉強が悪い場合

一方で、この「ながら聞き」がNGの場合もあります。それは、書き物をしているとき、目から情報を入れるときです。これは私の場合なのですが、本を読むとき、またはこうして文章を書いているときは、自分の頭の中で声に出して読みながら、その文章を追っています。

なので、耳から別の言葉が入ってくると、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまうのですね。

大学受験の勉強をしていた時、参考書に書いてあったのが「音楽を聴きながら勉強するのは良いが、かならず歌詞の無いものにすること。ラジオはNG」ということでした。これは、上に書いたように外から別の言葉が入ってくると、頭がぐちゃぐちゃになってしまうからなんですね。

ちなみに、体を動かしながら勉強をする、考え事をするのは良いそうです。大学受験の参考書には「著者の友人は単語を憶えるときに腕をぐるぐる回していた」と書いてありました。また、会社員だったときに、同じ部署のある方は考え事をするときに立って通路をいったり来たりしてたことを憶えています。私もたまに、部屋の中で行ったり来たり歩きます。

自分の中で「惜しいな」と思うのが、普通に散歩だったり、運転中だったり、何か身体を動かしているときにふと浮かんだアイディアを残しておく手段が確立していないことです。メモを取るために紙とペンを出すのがもどかしいとか、音声メモもなんか恥ずかしくてうまくできていません。実は今日の記事の内容も、車の運転中にふと思い浮かんだネタがもとになっているのですが、運転中はもうちょっと綺麗にまとまっていた感じがしたんですが……

たまに、頭に電極刺して、頭の中に浮かんだ言葉をそのまま記録してくれるような装置ができないかなと思う時があります(笑)

というわけで、今日は軽いつもりが妙に長くなりました。最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。

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