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入院生活を楽しむコツ

入院中の話

突然の事故から緊急入院して「どんなコースをたどっても二か月は入院」と知った私は、発想を変えて入院生活を楽しむことにしました。今日は、入院中何をして過ごしていたかを書きます。

入院生活の一日

AM6:00頃

看護師さんが見回りに来られます。日によっては検温をしたり、採血があったりします

AM6:30頃

エイド(看護補助員)さんが、熱いおしぼりを持ってきてくださいます。これで顔を拭きます

AM7:20頃

エイドさんが、熱いお茶を持ってきてくださいます

AM8:00頃

朝食の配膳があります

AM8:30

「外来診療開始」のアナウンスが流れます。また、この前後に朝食が下膳されます

AM9:00~AM9:30

看護師さんが体温、脈拍、血圧、SPO2(動脈血酸素飽和度)と排泄のチェックに来られます。このとき「今日の担当です」と挨拶があります

AM10:00

「お見舞の時間は午後2時から」というアナウンスが流れます。何故この時間なんだろうと思いましたが、時報の一種なんだと思います

PM0:00頃

エイドさんが、熱いお茶を持ってきてくださいます

PM0:40頃

昼食の配膳があります

PM1:00頃

昼食が下膳されます

PM2:00頃

毎週月曜日は、部長回診についてのアナウンスがあります

PM5:20頃

エイドさんが、熱いお茶を持ってきてくださいます

PM5:30頃

看護師さんが見回りに来られます。この時「担当代わります」と挨拶があります

PM6:00頃

夕食の配膳があります

PM6:30頃

夕食が下膳されます。

PM7:00頃

看護師さんが見回りに来られます。薬を飲んだかを確認されることが多いです

PM7:30頃

エイドさんが、熱いおしぼりを持ってきてくださいます。これで顔を拭きます

PM9:00

看護師さんが見回り、消灯に来られます

AM1:00~AM2:00頃?

看護師さんが見回りに来られます

休日・早朝の病棟

大体こんな感じなのですが、私がなぜこんなに細かく憶えているのかというと、入院してしばらくの間は手元に時計となるものが一切なく、何らかの動きで時刻を把握しようとしていたからです。後にデジカメ、時計を持ってきてもらって、「あ、これがあるのはこの時間なんだ」とわかるようになりました。

ひたすら寝る

特に、入院して初めの一週間はベッドから出ることが許されませんでしたので、本当にやれることが少なかったです。もちろん、怪我をして手術も受けていますし、事故以前の生活の疲れというのもあったと思います。本当に良く寝ていました。

「メンタルが弱っている場合はひたすら寝るとよい」と言われたりもしますが、これは本当なのかもしれません。

入院中しかできないことをする

入院中は色々なことが制限されます。個人的に一番の制限は「インターネットアクセス」でした。これを逆手にとって、インターネットにつながっていると(そっちに気をとられて)できないことをやりました。

やったことは「読書」と「ノートをとる」のほか「数独」、「カメラ」、「手紙」をよく書いていました。

読書

読書は妻に頼んで持ってきてもらったもの、Kindleでダウンロードしたもの、青空文庫でダウンロードしたもの、お見舞いでいただいたものと、合わせると36冊ありました。入院前は「買ったけど読んでない」という、いわゆる「積読」が沢山あったので、久しぶりに山が減った感じです。読んだ本については、また別に書こうと思っていますが、今回の入院のおかげで、退院してからも読書の習慣が戻ってきました。

ノートをとる

ノートも、最初は妻が気を利かせてもってきてくれました。「何か書いてブログのネタにしろ」という事だったようでしたが、自分もそれは考えていたので渡りに船でした。

主に使っていたのは三冊で、一冊は毎日の行動記録を書いたもの。一冊は自由帳、一冊は「三年日記」でした。

行動記録はこのエントリーの一番最初に書いたような、時間:出来事というような書式で書いてあるもので、日々の行動を細かく書いていました。これが役に立ったのは、ブログのネタになっている以外に、毎朝ある「排泄のチェック」でした。

毎朝9:00~9:30頃、その日の担当看護師さんが一人または二人組みで検温などに回ってこられるのですが、その時に「おトイレの回数」というのを必ず聞かれます。大体で答えても構わないのですが、私はノートに書いてあったのを言うようにしていました。ちなみに、退院してからはトイレの回数はチェックしていません。聞かれないし(笑)

自由帳は、その時思ってたことを自由に書いていました。以前書いた「水道組合」のときには、規約の改正案を書いたりもしました。

「三年日記」は大抵前日の振り返りを書いていました。私は「自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術 (朝日新書) 」という本に紹介されていた手法で「ほどほどほめ日記」というのをつけています。この「ほどほどほめ日記」というのは、「一日の出来事で良かったことを三つ挙げて、良く無かったことを一つ挙げ、良く無かったことに対しては改善点を書く」という決まりがあります。ほめ達!でも習う「Good & New」というものに近いのですが、どんな日であっても、この比率を守って書くというのがポイントです。これは、「7:3の法則」という考えで、一日のうちに完全に良かったという事はあり得ないし、逆にどんな酷いと思った日でも(例え小さくても)「良かった」と思えることを三つくらいはあげられるだろう、という発想のもとに考えられたそうです。

ただ、三年日記の方は最近すっかりご無沙汰です。これを機にまた復活させます。

数独

これはiPhoneに入れていたフリーソフトで楽しみました。毎日やっていたら、「中級」レベルは解けるようになったのですが、退院してしばらくやっていなくて、先日久しぶりにやってみたらすっかりできなくなっていました。脳みそも筋肉のように使えば鍛えられるし、怠けると力が衰えるようです。

カメラの設定でわざとピンポケにした写真。眼鏡を外すとこんな景色になる。

カメラ

これも妻が気を利かせて持ってきてくれたものです。始めは時計代わりの自撮り(時計が無かったので、自撮りをしては写真の撮影時刻を確認する)ばっかりでしたが、動けるようになってからは、窓から見える景色や、病院内の風景をとっていました。ただ、これも病院内は原則撮影禁止ですから、こっそり、人は写らないような早朝や、休日の午前中といった時間帯に撮影していました。デジカメで白黒撮影モードにしたら結構面白くなってきて、「専用のカメラが欲しいナー」なんて調べてみたら、120万円(本体だけでも100万円)もするようで……これが気軽に(?)買えるように頑張ろうと思います。

ベッドから出られるようになって初めて撮った窓の外の写真。それまではベッドから窓の外が見えなかったので、とても嬉しかったです

手紙

私は子供のころから字を書くのにコンプレックスがありまして、特にパソコンを使うようになってからは電子メール、最近はfacebookのメッセンジャーでやり取りをすることがほとんどでした。

インターネットアクセスが制限されている中でしたが、お見舞をくださった方には何らかのお礼を表明したいと思いまして、妻に頼んで便箋と封筒を用意してもらいました。焼きいもの通信販売では手書きのメッセージを添付していますが、まとまった文章を書くのは本当に久しぶりで、ちょっと新鮮でした。

刺激が少ないから

入院して思ったのが、病院内は刺激が少なく、かえって「能動的に頭を使っていた」ということでした。

自由にインターネットを使えるわけではないですから、より内容の濃いもの、自分の身になるもの、を選んでいました。その観点で言うと、例えばfacebookの「お知らせ」は無くても何ら問題のない情報です。イベントのお誘いが来ても、まったく動けないわけですから断るしかありません。

一か月半くらいはパソコンもありませんでしたから、手でノートに字を書いていました。いま読み返すと、結構妄想力たくましいことが書いてあります。ただ、パソコンが来てからも、この妄想力は残っていまして、「相対LOCKS! もしも平手友梨奈に相対性理論を教えるとしたら」というのは、入院中に書き始めた原稿です。

だがしかし、これらも退院すると一気にペースが落ちました。大きく言うと理由は二つあって、ひとつは「刺激が増えた」ということと、もうひとつは「やることが増えた」ということです。

「刺激が増えた」というのはインターネットからの情報が増えたという事です。例えば、facebookの「お知らせ」というのは本当に良くできていて、無くても何ら問題のない情報であるにもかかわらず「青地に赤い数字」という、つい見たくなるような心理的な仕掛けがしてあります。恐ろしいまでにスゴイと思っています。

「やることが増えた」というのは、例えば入院中は寝ていようが本を読んでいようが、時間になるとご飯が出てくるという事です。ま、いまでもご飯の支度は主に長男がしてくれているのですが、それでも配膳や下膳は協力してやりますし、朝の掃除と夕方の洗濯は私がやっています。これは良い・悪いという話とはまったく別です。(と、いいつつ、この部分は「言い訳」ですね 苦笑)

実は、退院してしばらくした後、もう一度ある入院を待ち遠しく思っていました。それは、二か月半の入院期間の自分のパフォーマンスを憶えていたからです。しかしながら、二度目の入院では、前回ほどの「キレ」はあまりなかったなと感じてます。結局のところ「自分の意識の問題だった」と反省しました。

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