今日は趣味でやっている合唱サークルの送別会でした。
同じサークルのある方が「家庭の事情」により引っ越すことになりまして……
※離婚でも、経済的理由でもありません。念のため。
最後は二人きりで立ち話(笑)だったのですが、その時に感じたのが、
「自分と自分以外では物事の捉え方が絶望的に違う」ということでした。
実は、「ほめ達!」で「自分と他人とは絶望的に違う」ということを教えてもらいました。
ただちょっと、「他人」というと、文字通り他人行儀と言いますかちょっと距離を感じます。
ここは本当に「家族、配偶者であっても」という意味あいで「自分と自分以外は」という言葉にしました。
酔っぱらってたからうろ覚えですが、その時の立ち話を思い出せる限り書きます。
先程「家庭の事情」と書きましたが
その方のご家族に都合があって引っ越すことになったわけです。
このとき、自分だったら「こいつのせいでこうなった」って思っているんです。
自分のせいじゃない、仕方ない、あわせてやってるんだ、と……
まぁネガティブですよね。
一方でその方は、「あわせるしかない」とは言ってましたが、なんとなくワクワクしている感じなんです。
「うわー、難しいことになっちゃったな、楽しみだな」という感じです。
これは本当にすごいことだと思いまして、「いやいや、そういう発想に行くのが凄いですよ」とお伝えしたんです。
だってすごくないですか? 自分だったら超絶ネガティブに「振り回されてる」って思っていることを「あたらしいチャレンジができた」って思えるんですよ。
ただ、私は割と「凄い人だな」って思えるんですが、逆の捉え方をする人もいるんです。
「私がこんなに苦しい思いをしているのに、なんであなたは平気なの?」って
自分の苦しい思いを理解してらいたい、なのにこの人は「あたらしいチャンス」とか、ぜんぜんわかってくれない。
実際起きてることって一つじゃないですか
それが、真逆の捉え方になってる。これが「自分と自分以外は絶望的に違う」ということなんです。
今日の話は「引っ越しをする事情」という話題全体が、自分のことではなかったので俯瞰的にとらえられましたが、これがもし自分の家族に起きたら、どうだったんだろうな……
なかなか、感情的には「お前(←理由になった家族)のせいだ」と思ってしまいがちですが、自分が決めたと思いたいものです。
そしてさらに「人のせいにしてしまう人がいる」ということも理解していたいと思います。
以上です!