私は2013年に「ほめ達検定」の3級と2級を同時受験して以来4年になります。去年は半年間の研修を経て認定講師という資格も得まして、さらには「ほめ達検定」の講師を目指して稽古を続けています。
ただ、たびたび自分で自分自身に疑問がわくのです。なぜ、自分は「ほめ達」を続けているのだろうかということに。
今日はそんな話です。
ほめ達セミナーでの衝撃
これまで何回か書いていますが、私が「ほめ達検定」を受験した時は半信半疑、正直胡散臭いと思っていました。
しかしながら、受けたときの高揚感(それは9割がた隣の席の女性と話が盛り上がったことが理由ですが)「場」の心地よさというのはいままであまり感じたことがないものでした。
「実践こそほめ達」というが
セミナーを受けて自宅に帰ると元に戻るというか、むしろ知ってしまったからこそ苦しく思うこともありました。
また、「嫌われる勇気」で再脚光を浴びたアドラー心理学では「ほめてはいけない」と説かれていることを知って、心がざわつきました。
そして、ざわついた状態で受けたのが「ほめ達検定1級」でした。1級の試験は別名「実践報告会」と西村理事長が言っていて、小論文とスピーチの形式でほめ達の実践報告をするという課題が出されます。
実は、この課題がとても苦手でした。合格はしましたが、スピーチ課題では具体例のない発表をしました。
結局、自分に興味を持つこと
認定講師養成講座を受ける前も、講座を受けながら勉強をしている間も、苦手意識はずっと持ったままでした。
自分のしていることはヨイショ、おべっか、おだてになってないか、心にもないほめ言葉を言ってないか、そんな疑念がわくのです。
そして一番困ったのが、ことごとく否定で返してくる人、さらには怒っている人を相手にするとき、そして自分自身が怒っているときです。
「ほめると自分自身の心が整う」ということを、ほめ達では習います。相手の反応は関係ない、自分の心が整うから相手をほめるのだ、というのです。
これは正解のひとつだと思います。イラついた時に呼吸を整えたり、とりあえずその場から離れるようなものです。
とはいえ、なかなかほめられない、ほめたくない、そう思う自分が許せない、自分の脳は怠けている、と……これでは負のスパイラルですね(笑)
結局のところ、自分がなぜこういう受け取り方をするのか、なぜそういう思考パターンになるのか、そこに目を向ければいいということに気がつきました。
実践を続けてわかったことは、自分自身への探求に必要なツールが「ほめ達」だったということでした。
多分、これからも自分自身への探求は続くと予感しています。それが、ほめ達を続けていられる理由です……というわけで本日は以上です。最後までお読みくださいましてありがとうございました。